Paul Gerber 至高の天才独立時計師
スイスの独立時計師集団“AHCI”の初期からのメンバーであるポール・ゲルバーは1950年にスイスの首都ベルンで生まれ、若い頃から時計技術者であった父の元で時計に関するノウハウを学びました。
1977年、弱冠27才の時にチューリッヒに自身の時計工房を開き、博物館の所蔵品修復やスイスの著名ブランドの時計製作にたずさわりながら、彼自身の目的でもあった「他に類を見ない時計作り」を始動しました。それは彼が幼少の頃から魅力を感じていた“時計とミニチュア”の世界に対する挑戦です。1989年には当時世界最小の時を告げる振り子式の木製クロックを企画から設計までを全て自身の手において行い完成させました。その時計の高さはわずか2.2cmで同年のギネスブックに、世界最小の木製クロックとして取上げられ、今なおレコードされています。
彼の大きな功績の一つに、世界一パーツ数の多い腕時計の作成があります。19世紀の時計師「ルイ・エリゼ・ピゲ」によって作られ未完成に終わったグランソネリ機能付き時計に、100年後である1995年、所有者はフランク・ミューラー氏に依頼し、彼はその時計にクロノグラフのモジュール(ジャケ社製)を搭載しました。
しかしその時計の持ち主はそれだけでは満足出来ずゲルバー氏に以来、彼は自身の開発した世界最小のフライング・トゥールビヨンを搭載します。
更に2003年、所有者はこの時計を世界一のコンプリケーションウォッチにする事をゲルバー氏に依頼します。彼は新たにこの時計にレトログラード機能、24時間計、太陰暦計、スプリットセコンド・クロノグラフ、60分計ジャンピングカウンター、フライバック機能、パワーリザーブ機能、チャイム機能を加え、世界最高のグランドコンプリケーション腕時計を作り上げました。
その時計のムーヴメントには、「ルイ・エリゼ・ピゲ」、「フランク・ミューラー」、「ポール・ゲルバー」の3人の名前が掘り込まれ、2006年にギネスブックに世界で一番パーツ数の多い腕時計として認定されました。そのパーツの個数は実に1166個にも及びます。
またその時開発された「フライング・トゥールビヨン」のスケッチは現在、「ポール・ゲルバー」のシンボルとして彼のブランドロゴに使用され、彼自身や彼の工房スタッフが着用していた作業用白衣にもそのマークが縫い付けてあります。
1996年、彼は本格的に自身のブランド設立に挑みます。最初にゲルバー・ブランドとして発表された腕時計、「レトログラード・セコンド」は文字盤の6時位置に据えられた秒針が左から右へと60秒刻み、目盛りが60の位置に到達すると、瞬時に0の位置へと戻ります。時計業界初のレトログラード式秒針を作ったのはゲルバー氏です。
この時計のベースムーヴには手巻き式プゾー社製Cal.7001が使われており、現在もブランド「ポール・ゲルバー」の主要モデルとして、多くの人々の支持を得ています。
又、同年には新しい8日巻きクロック・ムーヴメント、“Cal.25”を開発しました。ゲルバー氏の技術力を語るに当たって欠かせない仕事が、ファベルジェ社との提携による「イースター・エッグ」の制作です。
復活祭には昔から「イースター・エッグ」を友人や親族に贈る習慣がありました。その中でもかつてのロシア皇帝に献上された「イースター・エッグ」は非常に複雑かつ豪華な仕上げとからくりが施されており、たとえばその卵が開くと中にいる鳥が機械仕掛けにより翼を羽ばたかせながら歌をさえずるといった高度な技術を備えていました。
ファベルジェ社より依頼を受けたゲルバー氏は彼の高い技術で、かつてと同じようなからくりを備えたスネーク・エッグを97年に、02年にはムーン・エッグを作成しました。
1997年にはゲルバー氏はETA社製クロノグラフムーヴメントCal.7750にアラーム機能を付加する設計をし、新しいムーヴメントを作成しました。このムーヴメントをスイスのフォルティス社が買い入れ、同社よりパイロット・クロノグラフ・アラームとして生産・販売されました。
また1999年、Cal.25の8日巻きクロック・ムーヴメントに彼独自の機構、「フライング・トゥールビヨン」を搭載した世界唯一のトゥールビヨン搭載置時計を作成しました。
現在も尚、主要なコレクションとして受注生産されています。
2001年、ゲルバー氏は主要モデル“レトログラード・セコンド”を改良し、新たにプラチナ製のダブルローターを取り付けた彼の代表作“レトロツイン・オートマティク”を発表しました。レトログラード・セコンドをゲルバー独自のアイデアで自動巻きに改良したモデルは、ローターに34個のダイヤモンドをセッティングしたダイヤモンド・ローターモデルもオーダー可能です。
2004年に新たに加えられたコレクションは彼が作り上げた最高傑作、キャリバー33を搭載した「3Dムーン」です。
この時計に使われている脱進機(エスケープメント)は彼自身の開発によるもので「ゲルバー・エスケープメント」と名付けられました。この脱進機は、2つのガンギ歯車と3つのアンクルの爪石により、抵抗を削減しつつ磨耗を防ぎ、精度を上げる様に設計されています。裏ネジの受け部分には全て18Kゴールド製のシャトンが付けられています。
また、その時計の11時位置に輝くムーンフェイスは54個のダイヤモンドが満月を、反対側の新月をラピスラズリが表現し、128年間正確に月齢を表示し続けます。このムーヴメントは手巻き式で裏面から見える機械部分には彼自身の手でジュネーブストライプが施されています。
また同年、新たなムーヴメント“クロノグラフ・インジケーター”を開発し、ポルシェデザイン社に供給しました。
2005年、盟友であるルートヴィヒ・エクスリン博士(ユリス・ナルダン社の天文時計3部作の開発者であり、当時のラ・ショー・ド・フォン時計博物館の館長)の依頼を受けて、ミュージアム公認の腕時計“MIH WATCH”のムーヴメントを開発します。
その時計はヴァルジュー社のムーヴメント7750を改良して、アニュアル・カレンダーとワンプッシュ・クロノグラフを備え、AM/PM表示とクロノグラフ積算計、尾錠にはミュージアムの緯度経度が刻印されています。
エクスリン博士の監修のもと、ゲルバー氏のムーヴメントとPD社のデザイナー、クリスチャン・ガフナー氏のデザインによって作られたその時計は、ミュージアムにあったダニエル・ヴァシェイ氏作成の大きなモニュメント・クロックの修復費用に充てられました。
2007年、ゲルバー氏はスイス時計業界においてのこれまでの功績が認められ、もっとも栄誉あるGAIA賞を受賞しました。この賞はスイス時計業界の技術・文化・歴史・経済に貢献した人に送られるものです。その年にはCal.25のスケルトン・トゥールビヨン・クロックも発表しました。
2010年には自社ムーヴメントであるCal.41を開発しました。ツインバレルの100時間パワーリザーブとゲルバー独自の機構、トリプルローターを備えた自動巻きモデルです。また2012年にはそのムーヴメントに通常運針とステップ運針切替機能を搭載したモデルも発表しました。
2013年、多くのユーザーの声を受けて開発したのが、Cal.42“モデル420”です。スーパールミノバの夜光インデックス、独自の機構であるトリプル・ローターシステム、チタンケース&バックルとスクリュー・クラウンで10気圧防水のスポーティなモデルです。このモデルはETA社製の2842をゲルバー氏が改良した普及モデルです。
2017年、ゲルバー氏は自らの時計作りの原点となったミニチュアの世界で新作を発表します。
MIH WATCHを購入したユーザーからの依頼を形にしたEPR52クォーツ式の永久ムーンフェイスです。時計ストラップに取り付ける、このユニークな機能はわずか12mmの文字盤に18Kの月齢が表示されます。修正不要のムーンフェイスです。駆動はボタン電池で幅20mm以上のストラップに装着可能となります。
数々の素晴らしい足跡を時計業界に残してきたゲルバー氏ですが、2016年からは大手メーカーのためにムーヴメントを開発する仕事を辞め、従業員を雇わずに自らの手で全てを行うハーフリタイヤを宣言しました。妻であるルースと共に自らの工房で自身のブランドのみを作成する方針に切り替えました。
今後送り出される全てのコレクションは、100%ゲルバー氏自身の手によって作られた作品です。
株式会社PAID JAPAN